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当時の写真と伝聞を元に後世に残しておきます
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   伊勢湾台風による水没の町並みの1コマ。
   昭和34年9月26日。

   これは阿部米店店頭に飾ってあります当時の写真パネルです。

   写真に阿部米店が写っています。


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   昭和35年 ダイハツ オート三輪



   昭和32年 冷蔵庫

上段の扉内に氷を入れて下段を冷蔵する。当時は朝一番に氷屋さんが板氷を持ってきて毎日冷してはビールを販売してました。港祭りの時にはビール会社が冷えたビールを配達にきて販売したそうです。



缶詰はエバーミルク(外国製)。コーヒーに入れるフレッシュです。当時はよく売れました。

余談、当時は高価だったバターではなく、マーガリンがよく売れた中、堀川さんだけはバターを購入してたことを今もって驚いてます。


         写真提供  前田酒店
        記事執筆者  前田酒店






大宮司川です。写真は昭和30年代~40年代の川の様子で、地図は昭和45年のものです。稲永新田と宝神の境目を流れていた大きなため池(用水路)でした。この川では養殖がおこなわれ、また釣堀もありました。稲永新田を開発する時に堤防と灌漑用水が作られて、その用水部分が売り出されたのを当時3家が共同購入したのでした。写真には養殖した魚の死骸が写っておりますが、新田で撒かれた農薬が雨にまじり流れ込み、養殖池の鰡(ぼら)が大量死したときのものです。この被害を当時の保健所に申し立てましたが水稲優先のため取り合ってくれなかったために、岸辺の所有地に埋めたそうです。

稲永新田の開発者は渡辺甚吉氏であり、現在の稲永公園は渡辺甚吉氏が名古屋市に寄付したものです。(名古屋市に寄付した時の条件で、後世、市の住宅用地に転換しない、皆が遊べる憩いの公園にするというものだったと聞いています)



  
     写真提供 前田酒店
    記事執筆者 前田酒店



1964年 西稲永商店会で豊川稲荷(写真から推測)に旅行に行った時の一こまです。



              写真所有者 なか彦


下の写真は昭和30年9月日付の現在の西稲永交差点付近です。この時代はまだ交差点もなく、民家がすぐ近くにありました。


    
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