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当時の写真と伝聞を元に後世に残しておきます
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昭和28年 夏 永徳(現在の稲永5丁目12番・13番地)での一コマ。
この当時の実家の敷地には木板の塀がされてました。

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現在の潮凪橋の前身の写真。
この橋がかけられたのは、潮凪から空見に飛行場が移る為に計画された橋だそうです。昭和初期に潮凪は飛行場で、旅客機もここから飛んでいたそうです。双発機、練習機、がよく見られたのことです。


                写真所有者  前田酒店


稲永小学校校舎(旧、港西小学校)
昭和29年2月・・学芸会と裏面に記載ありました。
小学1年生の終期です。
木造2階構造で板壁の記憶があります。
服装を見れば、各生徒の家庭の裕福さがみられると思います。
用務員さんが鍵のかけ忘れなどがあった日には、近所の子ども達と真っ暗な廊下を足音を
忍ばせ教室などで幽霊探査をしていました。
現在と違って、いつでも学校に入れましたから・・
釘とかガラスの破片やその辺りにある石ころで地面さへあれば独創的な遊びが十分に出来た頃です。


          写真提供  jiashu1様(仮称)
         記事執筆者    同上




第1第2か分かりませんが稲永埠頭の埋め立て工事現場がこの頃の子ども達の遊び場でした。
周囲には遊び場が無いため、自然に馴染んだ遊び場を探すことに難はありませんでした。
この頃の海は砂地もあり水の色は綺麗でした。



          写真提供  jiashu1様(仮称)
          記事執筆者  同上


坂又商店がありますが撮影者は右の住宅(旧市営東住宅)の住人が撮影したと思います。
上半身裸の人物や雑草がみられます。
当時の遊びは凧揚げだったんですねぇ。
男子の服装にも流行があったんでしょうか。
オーバーオールみたいにズボンは両肩にバンドがみられます。
中電の火力発電所がありましたから、洗濯物に黒いススがしょっちゅう付着してた記憶があります。



          写真提供  jiashu1様(仮称)
          記事執筆者    同上
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